素朴で小さな温泉地 霊泉寺温泉

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なんにもないけど
なんだかいい
って、よく言われます。

霊泉寺温泉は信州の山あいに湧く、たった4軒の小さな温泉場。
飲食店も土産物店もコンビニもない正真正銘の田舎です。
歴史がある温泉地だけに建物は年季が入っていますし、きれいな着物姿の女将はいません。
そのかわりと言ってはなんですが、気取りのない笑顔にエプロンをまとった女将と、いつも自然体の主人たちがお迎えします。なにもないところなのですが、泉質は抜群、水がおいしい、米がうまい、静かでくつろげる、星がきれい… お客様がほめてくださることは意外と多いんです。
どの宿も家族でこぢんまり営んでいますので、なににも拘束されることなく、とにかくのびのびとお過ごしいただけます。
気兼ねのない田舎の親戚の家で過ごすようなお気持ちでいらしてください。

全身つるつるの美肌温泉

霊泉寺温泉は国民保養温泉地に指定されています。4館ともに源泉掛け流しです。
効能はいろいろありますが、肌当たりがとてもやさしく、赤ちゃんや皮膚の弱い方も安心。
「全身がスベスベになる」「術後の傷跡がよくなった」など、肌の変化を感じる方が大勢いらっしゃいます。
そういえば、女将たちは肌を褒められることがたびたびあるのですが、まぎれもなく温泉の恩恵だと感謝しています。

地元の旬の恵み尽くし料理

しゃれたお料理はできませんが、春はたけのこ、わらび、ふき、たらの芽、こごみ、せり。
秋は名産の松茸、しめじ、あみたけ、じこぼう、ひらたけ等々、地元の山や畑でとれる季節の食材を最もおいしい状態で召し上がっていただけるよう、旅館ごとに独自の工夫を凝らしています。漬け物や佃煮なども手作りです。
管理と下処理を徹底して泥臭さが全くない鯉や、鮎、岩魚などの川魚も好評です。
お客様のお好みやご要望にできるかぎりお応えできるよう骨惜しみせず手をかけられるのは、小さな宿だからこそだと思います。

■ 関東方面からのお客様
上田菅平ICもしくは東部湯の丸IC
国道18号線-国道152号線経由-国道254号線で30分
長野新幹線:東京駅-上田駅(1時間15分)
JR上田駅から千曲バス鹿教湯線で30分~50分

■ 中部・関西方面からのお客様
松本ICから国道254号線で30分
大阪からお越しの方(4時間30分)
東海道新幹線:東京駅-長野新幹線:上田駅
名古屋からお越しの方(3時間20分)
JR中央本線:長野駅-長野新幹線:上田駅
松本駅から丸子温泉郷直行バスが開通しました

温泉の由来と特徴 ABOUT

霊泉寺の言い伝え

時代は、はるか平安の頃まで逆のぼります。平安時代も末期の頃、東国に平朝臣維茂たいらのあそんこれもちという、とても強い武将がいました。維茂は信州の戸隠山に住む鬼女を退治するために、都からはるばる信濃国へやってきました。
そして、紅葉狩りをする美しい女に化けた鬼女を壮絶な格闘の末、神授の太刀で見事退治しました。(謡曲や歌舞伎で有名な『 紅葉狩 』 です。)維茂は、いったん帰路につきましたが、丸子にいる柏木の鬼の話を思い出し、このままその鬼も退治してくれようと、丸子の地にやってきました。
しかし、この柏木の鬼というのもなかなか手強い相手で、またもや激しい戦いを強いられました。
やっとのことで鬼を退治した維茂は、切り落とした首を地中に埋めました。さすがの維茂も激しい戦いのため、体中に沢山の傷を負い、すっかり疲労困憊してしまいました。
傷ついた体を引きずりながら、山の中をさまよっていると、湯煙と共にこんこんと湯が湧きだしている泉があるのをみつけました。
維茂は、この泉の湯で疲れきった体をいやそうと、毎日この湯に浸かって湯治を行いました。
それからというもの傷ついた維茂の体は、日を追うごとにみるみる回復していき、気がつくと前にも増して、
強靱な金剛のような強い体になっていました。
維茂は、この湯はたいそう霊験あらたかな湯に違いないと思い、その場所に寺を建立することにしました。
そしてその寺を金剛山霊泉寺と名付け、この不思議な泉を守ったということです。この湯は、寺湯として利用され、寺湯は現在共同浴場となっているということです。

霊泉寺効かぬはシャボンばかりなり

開湯伝説によれば、968 年(安和元年)に霊泉寺が建立された際に、寺の傍から温泉が湧出したとされています。但し、建立の年代は1278 年に(弘安元年)とする説など複数存在します。
これは、1877 年(明治 10 年)の火事で霊泉寺は大半が消失し、記録類がほとんど残っていないためです。
古くは霊泉寺の寺湯として栄えた当温泉の歴史ついても同様です。
また、平維盛が戸隠の鬼女退治をした帰りに、この地で傷を癒したとも言われています。
明治10 年の火事以降、静かな湯治場となっていきました。昭和 31 年 6 月 15 日 厚生省告示第 152 号により、内村温泉の一部として鹿教湯温泉、大塩温泉とともに国民保養温泉地に指定。
指定時は3 温泉の総称は内村温泉でしたが、のちに丸子温泉郷へと改められています。
この温泉は、万病に効くが石鹸が泡立ちにくいことを諺で、「霊泉寺
効かぬは シャボンばかりなり」と、言い表しています。